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pisonは、しがない介護福祉士。 家に帰れば「人生」に付随するあれやこれやに翻弄されつつ、お年寄りの前では明るく歌うリンゴの歌。
プロフィール

pison

Author:pison
pisonは一女三男の母。(うち1人は早々天国でPisonを待ってる)
仕事は介護福祉士。
若い人にはぜんぜんもてないけれど、白内障ぎみのお年寄りの目からはしごく美人に見えると評判。

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いままでパソコンからしかblogに読み書きできなかったんだけどやっとスマホも使えるようにしました。
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P1000207.jpg
7月3日 午後1時40分 男の子が生まれました。
3210グラムの元気な子です。
⇒ 続きを読む
真夜中である。
朝になったら大急ぎで犬の散歩して、いつものように息子を駅まで送ったら姑さんの入った特養に走らなくていけない。
9時半から提携の病院での受診に同行するのだ。
それが終わったら、M市に転入届けを出しに行く。

特養に入ったら住民票を変更しなくちゃいけないって知らなかった。
大正13年に生まれて依頼ずーっと88年間N区の住民だった姑さん、よもやこんな形で違う市の住人になるとは想像できなかった。
なんだかむりやり引っこ抜いてこちらの土地に埋めたような感覚がする。

そう言えば、同じような思いをしたことがあった。
母が馴れ親しんだN区から連れ合いと一緒に埼玉県のT市に引越した時もなんだか心がスースーした気がした。
なんだかその時は母を嫁に出したような気持ちだった。

東京のN区は私にはとても思いの深い土地だ。
7歳で東京に出てきた時から結婚するまでずっとN区の中を転々としていた。
旦那さんは生粋のN区の住人で先祖代々この時で土を耕してきたらしい。

私の中でどんどんN区が薄まっていくような気がしてちょっと寂しい。
時は流れ、人は過ぎ去っていく。

古き懐かしいN区を心に納めていこう。
きっと姑さんの方がこの引越しに思いが深いでしょうから。
88歳からの姑さんのM市民としての人生がおだやかなものでありますように。
娘から電話がきた。

「ポンちゃん(お腹の赤ちゃんの愛称)の性別がやっとわかったの。」
「で、どっち?」
「男の子・・・。」
「そうかぁ。」

言葉にならない行間に二人とも同じことを思ってる。

娘は弟の病気が遺伝性の強いものだと知っている。
女の子だったら本人に病気が出る確率が格段に低くなる。

「大丈夫だよね?」
「大丈夫だよ・・。」
何をもってそう言えるのか自分・・・。
何があってもどうにかなるさ、っていう大丈夫。

息子と同じ病気で同じ型の知り合いの男性には妹さんがいてそのお子さん達はみな元気に育っているって教えたら娘は安心していた。

「別に○○君(息子の名前)の病気が嫌だっていうわけじゃないのよ。ただちょっと不安になって。」
涙ぐむ。
娘も病気を否定することが弟を否定することにつながりそうで、言葉を慎重に選ぶ。

娘の気持ちは痛いほどわかる。
私も次男を内臓奇形で亡くした時の哀しみと言ったら、長男が難病だと、障害者になると知った時の不安たら、そして、三男が出来た時の恐怖にも似たあの不安たるや経験済みだ。
娘はそれらで苦しみ泣いていた私をまじかに見てきた。
誰だって子どもに病気や障害が無いとは言えない不安はあるだろうけれど、そういうことを立て続けに身近に見てきた娘には自分のトラウマになったかもしれない。

ひとしきり話して電話は終わった。
私は究極の結論に達する。
「神さまが造られたいのちだから最後は神さまが責任とってくれる。」

実は、昨日から職場で揉め事がいくつか発生していて、私の陰口を叩いている人がいるらしいと聞いてちょっとナーバスだった。
揉め事の内容は大人とは思えないほど幼稚なことで、はあ~ってものだった。

でも、娘と話した後はそんなことどうでも良くなった。
電話の後、仲の良い同僚とランチに行って陰口の内容も聞いたけど腹もあまり立たなかった。
低レベルのことで悩むのもバカらしいと。
そんなことに大事な時間や労力を使うのはもったいないと。

そして思った。
せっかく頂いた命、私は自分自身に恥じないように生きなきゃいけないなぁって。

ポンちゃん、ばあちゃんはアンタが生まれてくるって聞いた時、ポンちゃんが生きていく時代や世界が良いものだとは思えなくてなんだか心配だったんだけどね。
ポンちゃんのいのちは神さまが造ったんだからね、とにかく産まれておいで。
人生ってね、嫌なことも多いけど、時々良いこともあるからね。
ばあちゃんは待ってるよ!
1・17
11・9
と供に3・11は私たちにとって忘れられない数字になってしまいました。

あの日から、確実に何かが変わったような気がします。
なにがどうって、簡単には言えないですが、生きるということをより深く考えるようになったと思います。

今までも歴史の中で大きな災害や戦災などがあったでしょうが、今ほど情報と言うものが発達していなかった時代に対して、今回のあの衝撃的な映像はよりリアルに迫ったのでしょうね。

類をみないほどのマグニチュードだった東日本大震災は東北以外の地域の人びとも死を覚悟するほどの揺れや地盤の異変を身をもって経験したし、原子力発電所の事故は日本のみならず地球規模での危機でしたから。
多くの人がこの災害を人事ではすまない自分の事として共有したのでしょうね。

日本から遠く離れた国からもたくさんの援助の手が届いてびっくりしました。
こんな時、星野富広さんの一編の詩が浮かびます。

わたしは傷を持っているでも その傷のところからあなたのやさしさがしみてくる

時として弱さも人びとの優しさを知る為には有益なのかもしれません。
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