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pisonは、しがない介護福祉士。 家に帰れば「人生」に付随するあれやこれやに翻弄されつつ、お年寄りの前では明るく歌うリンゴの歌。
プロフィール

pison

Author:pison
pisonは一女三男の母。(うち1人は早々天国でPisonを待ってる)
仕事は介護福祉士。
若い人にはぜんぜんもてないけれど、白内障ぎみのお年寄りの目からはしごく美人に見えると評判。

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ただ今夕方の6時です。

酷い嵐です。
旦那さんは早めに退社したものの、電車が止まってしまい、仕方なくJRを使って帰宅しようと試みるも、閉所恐怖症にはこの大混雑は到底耐えられず、中途半端な駅で下車して動きが取れなくなってしまいました。

こんなことならもっと早くに帰宅するか、会社に留まるかしたらよかったのですが今から言っても仕方がないか。

私が酷い方向音痴でなければ車で迎えに行けるかもしれませんが、なんてたってどうしようもない方向音痴で地図も読めないときてる。
そんな私がこんな嵐の夜に運転したら・・・・風で車が横転するか、道に迷ったすえ一方通行を逆走したり、散々なことをしでかす自信が大いにあります。

電車が順調に動いてもみくちゃにならない程度に空くまでじっと待つしかありません。

娘からも電話がありました。婿さんのY君は市役所の遅番なので八時まで勤務だとか、独りでアパートにいるようです。
電話の最中でも
「おおう、凄い、家ごと揺れてる~」
とか
「あっ、なにか外で飛んだ!」
とか中継しながらも落ち着いていました。
昔の彼女なら
「怖いよ~」
などと弱音を吐いたでしょうが、ちょっこし逞しくなったのか?

6時半を回りました。
風がふと止まって虫の声が聞こえることもあります。
台風って不思議。
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このごろちょっと憂鬱なことがあります。

犬の散歩や仕事の行き帰りで同じマンションの人と会うのがプチ恐怖なんです。
出入り口に誰もいない時はホッとし、誰かが機械式駐車場で車の出入り待ちをしてたりすると緊張します。

やはり、犬の鳴き声の苦情が尾を引いているんだな。
肉筆で書かれた、犬の鳴き声がうるさい!どうにかしろ!!は効きました。

もともと夜は鳴かないし、昼間独りになるときに寂しくて鳴くので、あれから出かけるときは可能な限り犬も連れて出て、独りにしなければならない時は必ずエアコンをかけて家のすべての窓とカーテンを閉めて、廊下にも二重に防音カーテンをしたので、管理人さんからも
「ほとんど聞こえないよ。」
と言ってもらえたのですが、苦情が誰から出ているか知らされていない分、住人のすべてから怒られてるような気がして・・。

人と顔を合わせたくないけれど、でも挨拶ってとっても大切だからあの事件以降も前と同じにマンションで会う方とは挨拶は欠かしませんでした。
昔から、どんな心持ちの時でも挨拶は元気に明るくというモットーでしたから。

でも、最近挨拶しても返事が返ってこないことが多いな・・って感じるのです。
「おはようございます。」「こんにちは。」「こんばんは。」
でも相手に無視されると、なんというでしょうか、もう一段あったと思った階段が無かったみたいにがくっとします。
出ちまった声はもう戻らず、表情筋をあげて作った笑顔はどこにむけていいのやら、空振りした居心地の悪さに踊りでも踊りましょうか・・という感じ。

最近の人は挨拶したくないのかもしれませんね。
でも、あんなことがあったばかりだから、ついあの苦情を言ってきた人はこの人だったのかしら?顔も見たくないほど頭にきてるの?なんて勘ぐってしまったり。

能天気な私も、最近はあまり大きな声で挨拶をしないようになってきました。
無視されたときに間が持てずに踊り出したら、それこそ今度は違ううわさになりかねないですから。

あそこのオバサンやっぱりおかしいよ。
なんて。

そうよ。この歳になったらあんまり元気に明るく挨拶したら場違いかもしれないものね。
しっとりと落ち着いた大人の女性風に会釈のみとか。
そしたら相手の反応がなくてもそれほどヘンではないか~!

昨年一年間ほぼ毎日日記をつけていたので、今年は思い切って三年使える日記帳を買ったのですが、ここのところずっと書けないまま真っ白になっていました。

せっかく買ったのにもったいない・・。
と思いつつかけないまま。

そうこうしているうちに、少しづつやる気も浮上してきた。
どうして自分の精神力が浮上してきたかわかるかと言うと・・・重い腰をあげて片づけができるようになってきたのが証拠です。

娘が嫁に行ったにもかかわらず、不用品をウンザリするほど置いていき、貴重なスペースを占めていました。
口が酸っぱくなるほど「片づけてくれ!」と言っても糠に釘。
でも、とうとう先日我が家へやってきて分別していきました。

本当は自分の家に持っていって処分して欲しかったのですが、まあこれで良しとしましょう。
一番大きい有料ゴミ袋の可燃が三袋・不燃が6袋でました。
あと、いらない本やCDを売るのも当然親の仕事!?売上金は6560円でしたが、6000円渡して端数はもらいましたとも←せこい母。

そんなわけで、体力気力のいる片づけに着手して全部のことを終わらせることができたので、きっといつもの元気が戻ってきたんだろうと思いました。

かたづいた娘の部屋をみて初めて
(あー、あいつも嫁にいったんだなぁ・・・)
としみじみ思いました。

そして、次なるやっつけ仕事は、空白になってる日記帳を出して手帳やカレンダー、ケータイの記録、このブログなどを照らし合わせて書き込んでみました。
ほぼ埋めることができました。

そして、無気力になってきたのが、だいたい7月18日頃だったということがわかりました。
別に何があったのかって理由はないのですが、めっきり元気が出なくなったみたいでした。

さて、今日からまたちゃんと記録していこう。
なんて言いつつ三日坊主だったりして・・・。
上の息子の就職が決まりました。
23歳・・・長かった道でした。

思えば、養護学校時代に芽生えた『苦しい環境に置かれているこどもに何か出来ることはないか?』という気持。
それが彼を福祉の道に進ませて大学に入り、目標の社会福祉士を取得した。
でも実際は厳しく、体に重度の障害を持つ者の仕事の道は険しかった。
卒業してしまえば容赦なく時は過ぎていく。

そんじゃあ、次は一般企業にトライだ!
障害者雇用は企業の義務だからたやすいだろう・・と安易に考えていた私はガーーンだった。
難病を患う者にはそんな簡単なことではなかったんだ。
書類すら選考を通れない。

だいち、いろんな会社があるけれど、どれも通勤ラッシュにもまれなくては到達できないところばっかりだった。
障害者のための雇用と言って門戸を開けてくれていてもエレベーターや車椅子用トイレもない会社も多かった。

あらためて結構重度の障害者なんだ・・と再確認しちゃって、社会の一員として働くことは難しいのだと痛感する。
そして、どこにも所属しない状態の心細さというものを味わった。
いままではどこにかしら所属していたし、いつもなにかしらの目標があった。
受検であったり、大学のカリキュラムをこなしたり、国家試験があったり。

何もしないでいることをさけるために私の職場で臨時に雇ってもらったりと苦肉の策の結果、私が啖呵切ってそこを辞めたものだから再び自宅警備員となった。

いや、まだあきらめちゃイカンと市の相談窓口を叩き体は悪くても何か道はないかと相談すれば、重度の障害者は受けいれてくれないかもしれないけれど、訓練校があると教えてもらい、こちとらナニガナンデモ!とねじ込んで無事入学したのが半年前だった。

いろんな資格を取る勉強をしながらハタシテ働く場所が見つかるだろうか??という不安にさいなまれる。
でもそもそも彼は学ぶということが好きなんだってことがわかる。
どんな勉強も弱音を吐きながら(ここら辺が家族にとっては困りどころなんだけど)ちゃんとクリアする。
でもいつかは学校で勉強することから巣立たなければならないんだ。

訓練校の夏の宿題でハローワークに一回は行くこと。
という課題が出た。
今までも行っていたけれど、良い話があったためしがなかったし、でも宿題だし・・・と何も期待しないでノコノコ出かけていったその時!!ものすごい好条件の求人が!!
あれよあれよと言う間に、面接と筆記試験を通過してめでたく10月から社会人となることが決まった。

常に心配症の息子は、今度は
「病気が進行していって仕事が出来なくなったらどうしよう・・・。」
という新たな心配の種をまいてその種にせっせと水遣りしてる。

そんなアータ、先のことなんて考えたってしょうがないでしょう。
とにかく今は目の前のことに猛進するのみよ。

貴方に一番初めにめばえた『不幸な子供のために何か少しでもできれば。』という気持や成長するにしたがって芽生えてきた『微力でもこの国に何か貢献できたら・・』という気持が生かされるといいね。
どんなことでも一生懸命やっていけば、社会の大きな流れの中でめぐりめぐって自分の希望は果たされるんじゃないかと私は思うんですよ。

とにかく就職おめでとう。
朝、いつものように5時半前に出勤していった夫から30分もしないうちに電話がはいる。
「人身事故で電車が止まってしまった。振り替えのバスは満員。」
帰ってくることになった。

閉所恐怖症の夫は満員の乗り物に乗れない。
だから、どんなに夜が遅くても毎朝4時半には起きて人の少ないうちに出勤しているのです。

でも、こんな早朝でもあるのね、じんしんじこ・・・・。

地図の読めないことにかけては超人並みの私が降りた駅まで迎えに行く。
案の定、迷いました。
大きく迂回してやっと夫を回収して帰宅。

もう今日はお休みにしてしまうということになり、二人で映画を観に行くことにしました。
『コクリコ坂から』
すごく良かったです。
絵も綺麗だし、私の大好きな古き良き時代の建物がいっぱい出てくる。
月曜日の田舎の映画館なので人がいないこと!
客さんは全部で10人ほどしかいない。
ゆったり~のんびり~

久しぶりに(いいもの見たなぁ・・・)と感激する。
そして、映画が終わってケータイをチェックすると、メールが一件不在が二件。
上の息子からだった。
(下痢やその他のことで早退する。)

えー下痢~
大丈夫かしら・・・。
余韻がいっぺんに消える。
重度障害者の電動車椅子使用者にとっては下痢はかなり厳しい。

不在のほうも息子だった。
電話をかけると
「腹を壊したので早退したが、鍵を忘れて家に入れない。」

バーカ!なんで今日に限ってかぎ忘れるんだよ!!

もう映画の余韻どころじゃない。
夫とぴゅーっと帰る。

そう言えば、数年前もこんなことがあったっけ。
夫と美術館に出かけて
「なかなか良かったネ。お茶でも飲んでいこうよ。」
と言う時にケータイがなった。
出れば、まだ小学生だった末息子から
「マンションの管理人さんに電話を借りてかけてる。家の鍵忘れて入れない。」
六本木から慌てて帰ったっけ。

なんで間が悪いか、このアホ息子ども!
一ヶ月前に転倒して額を切った姑は脅威的な快復をみせている。

現在86歳ですが、私が思うにあと10年は健在だと思います。
こちらも負けずに長生きしなければ!
お小遣いをあげつづけなければ無年金の姑は大変なことになります。
頑張らなくっちゃ・・・。

てなわけで、今日は珍しく何も予定の無い日だったので姑の所へ行ってきました。
一緒に御飯を食べて、できればもう一ヶ月以上体を拭くだけで入浴していない姑にシャワーを浴びてもらおうと思っていたのですがそう簡単にはいきません。
「毎日拭いているからいい。」
って。
コツコツと根気良く訪ねていってお風呂に誘って見たいと思います。
そこらへん、プロの介護福祉士なんで。

御飯は兄嫁さんが作ってくれているとのこと。
見せてもらったけおいしそうな昼・晩御飯でした。

「御飯を作ってもらえてありがいのよ。」
と言う同じ口から
「買い物を頼むとね、買ってきてくれるんだけど買ったものを何も言わずにドアをあけて放り込んできておしまい。」
とのこと。

私も5歳や6歳の子供じゃないからそのままの言葉を鵜呑みにはしません。
が、同じ家に住みながらもう十数年も一言も口を利かないという嫁と姑ですからありえるかも・・・と思いつつどう答えていいものやら・・・。

義兄からもメ-ルでは、嫁と姑の関係で泥沼!!と悲鳴が聞こえているのでこれからどうなっていくか覚悟していかねばなりません。


姑の家と旧友の家が二駅しか離れていないので、帰りに旧友と落ち合ってお茶を飲みました。
このところ、なんとなくやる気の起きない私です。

でも、二時間ばかり旧友とおしゃべりするとすっかり元気に。
かかとが磨り減って釘が嫌な音を立てていたサンダルも思い切って新しいものと買い換えることができました。

夫や息子たちのものだと
「ケチケチしないで良い物を身につけないといけないわよ!」
と勧める私ですが、どうしてか自分のものとなるとドケチになって買えないんです。
これを買うのにお金を出したら何日分の食費になるかしら?と考えたら
「まっ、いいか、買わないでも。」
ってなってしまう。

知ってか知らでか、旧友は良い物があると
「これいいわよ!!」
と勧めてくれるので
「じゃ!」
と財布の紐を解く私。
やっとベラベラとつま先が開いちゃったサンダルを新調できました。

旧友と話して気が大きくなった私、帰りにKOデパートに寄りパンツとろくな物がなかった靴下も新調。
帰宅して思い切り古い下着を捨てました。

こういうごく基本的なモノを(どうせ見えないんだから)ってケチってボロっちいものを身につけてるとほんと良くないと思います。

颯爽としているお友達に触発されてほんのちょっと奮発しました。
日々の暮らしの基本的なことをおろそかにしちゃいんだよなぁ・・って思います。


P1010454.jpg

私の大好きな映画にフライド・グリーントマトというのがある。
映画の内容は話すと長くなるので割愛しますが、そこにアメリカ南部の料理、フライド・グリーントマトが出てくる。

小さい頃から本や映画に出てくる食べ物に興味しんしんだった私です。
是非この料理も食べてみたいものだと常々思っていた。

そして実現したのであります。
そもそもまだ熟してしないトマトを入手することが困難だったのですが、今働いている職場のオーナーがプロの農家なんです。
庭にはいろんな果物や野菜が出来ていて利用者さんと一緒に収穫することもできるんです。
そして今日はトマト畑から青いトマトをもらってきました。

さて、念願のアメリカ南部の名物料理フライド・グリーントマトを作ります。
⇒ 続きを読む
息子1の親友S君のお母さんから電話がきた!
良かった~ほっとした。

連絡が取れなかったわけが判明した。
彼女がスマートフォンに変えていたので私のケータイが受信を拒否していたゆえだった。
迷惑メール対策で対ケータイしか受信できない設定になっているので。

彼女もメールしても戻ってしまうので??と思いながら数日過ごしていたらしい。
そしてメールはダメだと思い電話してきてくれた。

難病と格闘の末この世界から卒業していった息子さんの亡き後、喪失感と格闘している。
電話の声は元気そうですが、S君のこととなると声が詰まってしまう。
なんとか毎日を過ごしているけれど、なかなか家から出られないんだそうです。
体中あちこちが壊れていていろんな薬を飲んで、足に腫瘍ができて切除したとか。
長年の介護で相当体を酷使していたことは端で見ていてもハラハラするほどだったからね。
息子さんがいなくなってバランスがくずれたんだろうな。

「なんとか生きてる。」
その一言がしみいる。

「頑張れ」
なんてとても言えない。
「私が生きている間ずっと忘れない。私の中でS君は生きてるよ。」
と伝える。

病院以外は外出する気になれないんだって。
「お茶のみに行こうよ。」
と言っても
「そうね・・・。」
あまりそんな気になれない様子が伝わってくる。

こういう時、押しが弱い私です。
たまには多少強引にでも外に連れ出してあげるほうがいいのかもしれないし、今はまだそっとしておいてあげるほうがいいのか?その間で揺れる。

とにかく、喪失というものと戦いながらも日常生活を営んでいるということがわかってほっとした。

「やつれて汚いおばさんになっちゃダメだからね!」
どんなに睡眠不足でもいつもお洒落でさっそうとしていたK子さんだったから。
「うん。あの子がね、だらしないの嫌いだったからね、綺麗にしてるよ。」
「そう、S君ってきれいなお母さんが好きだったもんね。」

一時間ほど話して電話を終えた。
ケータイのドメイン解除しておかなきゃ・・・。

本格的に寒くなる前にはK子さんを街に誘って温かいものでも飲みに行こう。
多分私たちS君のことを話しながらまたうんと泣くと思う。
でも泣きながらでもどんどんS君のことを話そうと思う。

周りの人は「早く忘れて」とか「そろそろしっかりしなきゃ」っていうけど。
忘れちゃダメだもの。
涙が出る間は泣けばいいし、しっかりできない自分をゆるしてあげればいい。

泣きながらでも、とにかくご飯たべて、眠れる時寝て、日々を重ねていってほしい。
上の息子の親友S君が亡くなって今日でちょうど一年が経ちました。
一年前の今日のことを思い出すと本当につい先日のことのようです。

養護学校の高等科で出会ってまるでジクソーパズルがマッチしたように自然な友達になったS君。
進行具合が違っても同じ病気であり、お互いの不自由さを理解しあえる友達関係だったようです。
苦しみの多い、でも弱音をはかない22年の人生でした。
年齢に関係なく私の尊敬できる人間の一人がS君です。

今はもうS君はなんの制約もない自由を得ているんだろうと私は思います。
でも、心配なのはS君のお母さんです。

まるで自分の生活や時間や命をもすべてS君に注ぎ込んでいるようなK子さんでした。
S君亡き後K子さんはしっかりと現実を進んでいけるだろうか?
まだS君が元気な頃から心配をしていました。

この病気は親よりも先に子供の死が訪れる性質のものです。
親は子を見送ってその後も生きていかなければならない。
養護学校の多くのお母さん方の中でも特に親子の結びつきが強く見えたS君の母子でした。

あれから、私は彼女にどう声をかけていいのか言葉をもてないまま時々はメールをしていました。
メールの返事は「なんとか生きています。」と書かれながらもやはり元気は感じられませんでした。
元気など出るはずもありません。

生まれたばかりの子供を亡くした私でさえ、一年がすぎたころでもまだ地に足がつかないような心持ちでしたから。22年もお世話をしながら二人三脚で歩んできた母子には半身が切り取られたような一年だったのではないかしら。

三月の震災の後に安否確認でメールのやりとりをしたままK子さんとは連絡をしていませんでした。
お命日が近くなってきたのでメールをしたのですが、返事がありません。
私よりも彼女とお付き合いが長い養護学校のお母さんにK子さんの近況を尋ねたのですが、彼女も最近音信がないとのこと。
養護学校の先生方も一周忌が近づいてきた頃から息子に「なにか連絡はあるの?」とメールを送ってきます。
息子も心配して毎日私に返事があったかどうかと聞いてきますが、私にも私が連絡したお母さんにも返信がきません。
そしてとうとう今日お命日が巡ってきました。

心配な反面、迷惑かもしれない・・と思うとなかなか次のメールを送れない私です。
でも、もしかしたら前のメールは何かあって見ていなかったのかも?と思い切ってメールを入れてみました。
やはり返事はありません。

どうしたのかしら・・・。
心が弱ってしまっているのかしら。
愛する者を失った人の痛みが癒えるのは気の遠くなるほどの時間が必要なんでしょうね。
時間によって痛みが癒されていくことがまるで愛するわが子が遠くになるようで、ならばいっそ激しい痛みをこのまま持ち続けていたい・・と願った記憶が自分の中にもあります。

これ以上しつこくメールをしてはいけないのでしょう。
私は、ただK子さんに天からの慰めがありますことを祈っていこうと思います。
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