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pisonは、しがない介護福祉士。 家に帰れば「人生」に付随するあれやこれやに翻弄されつつ、お年寄りの前では明るく歌うリンゴの歌。
プロフィール

pison

Author:pison
pisonは一女三男の母。(うち1人は早々天国でPisonを待ってる)
仕事は介護福祉士。
若い人にはぜんぜんもてないけれど、白内障ぎみのお年寄りの目からはしごく美人に見えると評判。

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お孫はすくすくと育っています。
私は、仕事や体が不自由な息子の通勤の送迎や留守番できなくて近所から苦情がくる愛犬を抱えて自由がきかないので、娘の産褥は一切新潟からきてくれている婿さんのお母さんが見てくれています。
ありがたいことです。

旦那さんは末っ子のPTAの会合で
「実のお母さんがそばにいるのにお姑さんにお世話になるなんて娘さんがかわいそう。」
と言われて鼻の穴膨らませて
「なんて言われちゃった。」
と帰宅するなり言っていました。

私はちょっとポカン。
娘は姑さんとは結婚前からとっても仲が良くて、私よりもお義母さんには素直に甘えられるようでした。
お姑さんも息子ばかりで娘がいなかったので嬉しいと旅行に連れて行ってくれたり一緒にエステにかかったりと優しくしてくれていました。
一方私たち母娘は近寄りすぎるとバチバチ!と火花が飛ぶので適度な距離を保っていたというか・・。

新潟では、男の子が生まれた時は21日間産婦は何もしないで周りが面倒をみるという習慣があるとお姑さんはおっしゃり、ずっと泊まって面倒みてくれています。

その様子を見て私はありがたい気持ちと申し訳ない気持ちとが錯綜して、その他にもまた違う気持ちが湧きあがるのです。
「甘えられる人がいる娘はいいなぁ・・・。」
って。

私が一人目を生んだとき、母はまだ働いていて、姑さんは時間はいっぱいあったのですが、同居している義兄夫婦の犬の面倒をみていたので手伝いに来られない。と言われ、初めての出産でどうしたらいいかナーバスになっていました。
結局姑さんが一週間来てくれたのですが、ありがたい一方、姑さんの不安神経症気味の性格に(ご飯は何をつくるのか?野菜は何をいれるのか?では人参は何ミリに切るのか?はたまた主人が帰宅するまでずっと部屋の中を歩き回って心配しているとか、薬を飲む時間を決めているので時計とにらめっこして時報と共に服薬しなくちゃならないとか・・・)で精神的に疲れてしまった経歴がありました。

幸い私は健康で産後は問題なく家事ができるということがわかったので、以後退院してからのお世話はしてもらわなくて大丈夫だったのです。
でも、三人目が生まれて亡くなった時は本当に辛かった。
誰もお手伝いがなくて、そのうえ上の二人の子ども達は母親の愛情に飢えて一日中異常な食欲をきたし、私は産後まったく休めず、夏休みの子ども達の面倒を見つつ、一日五回食事をつくり片づけて疲労困憊しながら亡くなった子どもを思い泣いてばかりいました。

四人目の末っ子の時はもう上が大きかったのでなんでもかんでもらくちんで余裕だったのですが、そういうわけで私は産後を思い出すとちょっと複雑な思いがあるのです。

きっと自分の母もこんな風になんでも自分でやってきたのだろう・・と勝手に考えていたところ、お孫の写真をメールで送ると。
「私(母)が始めて出産したときはね、おばあちゃん(父の母)が何ヶ月も来てくれてね、私は甘えて寝てばかりいたの。貴女(私)が生まれたときもおばあちゃんがきてくれたのよ。」
とさらりと書かれていて、なんだか私すごーく複雑な思いになっちゃったのでした。

ええー、お母さん結婚反対されて駆け落ち同然で一緒になったのに、ちゃんと大事にされてたんじゃん?って。
退院してその足で買い物に行き、ご飯作って後片付けしていた自分がちょっと切なくなってしまいました。
お手伝いが無かったことは、自分の中で(夫と二人でやってきた)(自分はよくやった)と思ってきたのですが、ココへ来て、なんだか(私って大事にされていなかったのか・・・)みたいな考え方になってちゃって。

多分、おとなげなくこれは娘に対する嫉妬なんだと自己分析しています。
上手に甘えられる娘を羨ましく思う反面、そういうことが苦手な自分を再発見するのです。

三人目が亡くなって産後泣きながら家事をしていた時もきっと誰かに助けを求めたら救いの手が差し伸べられたんだと思います。
私は素直に母親に甘えることが出来ないんだとあらためて思いました。
思春期から母親に対して一線を引いていた私は親に頼らずに生きていきたいと思う気持ちが強くてそれをずっと引き摺ってきたんだと思う。

こうして自分の思いを分析して言葉に変換するのはいことだと思う。
娘が憎たらしいのではなく、私は過去の自分に対しての思いが嫉妬させているんだと思うと整理がつく。
ああ、私はずっと母親に甘えたかったんだなぁとわかると、まあいいや、と思える。
それに関しては思いは充足できなかったけれど、別の部分ではちゃんと充足できてるし、人生なんてそう自分の望む通りなんかにはいかないものだよ、得られなかったことに気持ちを集中させるのは不健康だよ。
と自分に向かって言える。

そして、素直に姑さんに甘えて美味しいご飯を上げ膳据え膳で食べさてもらってはひたすら乳をあげることに専念している娘に
「良かったねぇ」
と言える自分になる。

次なるハードルは・・・・。
姑さんが帰った後、育児に煮詰まった娘がお孫を預けに来たら・・だ。
どこへ行くにも自由が利かなくて育児ノイローゼ状態だった頃、一回どうしても子どもを預かって欲しくて母にSOSを出した時、
「ダメよ、お母さんその日、みのもんたのテレビの収録にお友達といく予定だから。」
と断られたことが結構なダメージになってるしなぁ。

でも、これって人生のある種の修行だと思う。
自分がしてもらえなかったこと、して欲しかったこと。
ソレを気持ちよくしてあげられるようになったら偉いじゃん?
できるか?自分?
たぶん、お孫は可愛いからできると思う。




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ここ数日、いや思えばもう少しまえから疲れやすい気がします。
我が家のマンションは坂道に建ってるのですが、駐車場に車を置いてマンシンに戻る時の足取りも前とは随分違うような気がします。

筋トレやめちゃってろくに運動していないのもあるんだろうな。
仕事に行ってるときはテンぱってるから元気なんだけど、仕事が終わると空気が抜けるみたいにテンションが下がる。

考えてみれば、半世紀も生きてるわけで、信長の時代なら
「じんせい~ごじゅうねぇーーん~」
もう立派な高齢者なわけで、疲れるのが当たり前かもしれません。
頭の中は高校生くらいの頃から成長していない感じだけど、生物として外側はしっかり衰えているわけです。

孫も生まれたことだし、正真正銘の婆さんというわけです。
誰だったか、先祖代々のつながりを「いのちのリレーだね。」って言った人がいて、その時は(うわースゲーかっこよすぎない?)みたいに思っていました。

私は結構ニヒリスト的なところがあって、(こういうところ上の息子とオッソロしく似てる・・と嫌になることがあるのですが、)生物的になにがなんで自分の遺伝子を残さなくったっていいじゃん・・・みたいな考え方も心のどこかにあるんです。
もっと遡って、もし自分が生まれる前に戻れて、そこで神さまから
「どう、人間やってみる?」
って聞かれたら
「いやぁ、やっぱいいっす。」
って答えちゃうような気もするのです。

今の人生が嫌だっていうのじゃなくて、もしも、はじめから無かったとしたら、それはそれでもいいかも~みたいな。
生まれてきたからには頑張るしかないが、生まれてこないって選択があったらそれでもいいかな?って。
これってすごく小さい頃から感じてきたことなんだけど、他の人もそんな風に考えるものなのかな?

ともかく、この生きている現実は良いこともあるけど、だいたいに於いて苦しいことの比率の方が多いわけで、生きていくって結構タイヘンなわけです。
とくに、現代の日本では、ぐらっと来て、原発がドッカーンとなる可能性も高くて、この危険に満ちた世界に血をわけた可愛いお孫が生きていくというのは嬉しいのと同じ比率で心配というもの背負わなくてならないのです。

同じ精神構造を持つ上の息子は姉である娘にメールを送ったそうです。
「あまり明るいニュースもないこの頃ですが、生まれた子どもが希望を持って生きることができるような時代にしていかねばならないと思っています。」

ミルクを飲んで満腹しては口元に笑みをうかべ、真っ赤な顔をしてウンチを出している孫を眺めつつ。
婆さんは思いました。

この先どうなるかわからない時代だけれど、それでも、やっぱり子どもは未来への希望だな。




P1000207.jpg
7月3日 午後1時40分 男の子が生まれました。
3210グラムの元気な子です。
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